プロフィール

はじめまして。
インナーチャイルド・セラピストの泉 りなです。

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本当の自分ってなんだろう?
わたし、こんなはずじゃない
もっと違う人生を生きられるはず

そういう思いを心の中に抱きながらも、自己否定や自己不信に悩んで自分を羽ばたかせることができずにいる方々、(自覚があってもなくても)アダルトチルドレン、自己否定、共依存、愛着障害などで生きづらさを抱えている方々が、魂が輝く新たな人生へと踏み出すお手伝いをさせていただきたいという思いで、インナーチャイルド・セラピストとして活動しています。

インナーチャイルドセラピーとは、心の奥底=潜在意識に癒されないまま傷ついているインナーチャイルドを解放し受け容れることで、ネガティブな感情を統合し、真の癒しを経験するものです。

なぜそうした方がいいかというと、心の中に存在する癒されていないインナーチャイルドは、とても視野が狭い状態でさまざまなネガティブな思い込みや信念を持っていて、それを真実だと信じ込んでいるため、それがあらゆる可能性や自由に生きること、自己実現を阻むからです。

わたしは幼少期の頃から、とても傷つきやすい子どもでした。
母からはよく「神経過敏な子」と言われていました。

そういう性質も手伝ってか、幼少期の体験からたくさん、たくさんネガティブな感情や思いを積み重ねて、それが潜在意識の中で知らず知らずのうちに育っていったことで、それらを真の自分と信じ込み、社会人になってもずっと生きづらさを抱えていました。

普段は仕事に没頭し、一見社会人として何の不足もない、ともすれば有能な人材として見られていたかもしれませんが、心の中は、

「わたしは愛されていない」
「誰もわたしを気にかけてくれる人はいない」

「わたしには価値がない」
「わたしはいてもいなくても同じいない方がいい

こういう思いに苛まれ、苦しさを抱えていました。
人知れずです。

そしてかつてのわたしと同じように、そんな思いを抱えながらも人生を変えたいと願っている人は少なくないのではと思い、わたしがどのようにその思いを克服し、今の幸せな日々を送れるようになったかをシェアさせていただきたいと思いました。


より詳しいプロフィール

突然知らない家に連れて行かれ、母が去って行った衝撃の幼少期

母の元に戻って安心するも束の間、ここでも居場所がない

小学校でいじめを体験、人を信頼できなくなる

誰にも気持ちをわかってもらえず、心の叫びに蓋をしつづける

20代後半、失恋をきっかけに心について学び始める

インナーチャイルドの癒しの大切さを知って

真の癒しを世界に届けるインナーチャイルド・セラピストへ


それはある日突然でした。
わたしと姉は何も聞かされないまま知らない家に連れて行かれて、
母は「今日からここで住むことになるから」とわたしたちに言い残して家に帰って行きました。

後に母は父と離婚し、母が経済的に自立するまでわたしたちを父のところに預けることになったということを知らされましたが、当時わたしたちはわけがわからないまま、父と父の再婚相手の継母と、その家にもともといた二人の男の子たち(継母と前夫の息子たち)と暮らすことになりました。

そしてその家での暮らしはいままでの暮らしとは一変し、幼少期の辛い記憶となっていきました。

父は仕事で忙しく、その家でほとんで父を見かけることはありませんでした。
おそらくわたしたちが寝た後、夜遅くに帰って来ていたのでしょう。

その家での父との唯一の思い出は、悲しいことに、わたしたちが2階で寝ていると、突然父に叩き起こされ、怒られた出来事でした。

幼いわたしは、何が起こったのか、なぜ父がわたしたちを叩き起こして怒っているのかわかりませんでしたが、泣きじゃくるわたしたちのところにあわてて継母が来て「そんなつもりで言ったんじゃない」と父に言っているのを見て、子ども心に、継母が父にわたしたちのことで何かよからぬことを言ったのだと想像がつきました。

ほとんど家を留守にして夜遅くにしか帰ってこない父や、突然、面倒を見ることになったわたしたちに、継母は相当なストレスを抱えていたのでしょう。またわたしたちがその家に預けられた時には、父と継母の間にすでに子どもが生まれており、今思えば産後うつの状態になっていたのかもしれません。

継母は日中、父が仕事に行っている間、わたしたちによく怒りをぶつけてきました。
継母の息子たちが行った悪事も、怒られるのが嫌でわたしたちがやったと息子たちが言うと、継母の怒りがわたしたちに爆発する、ということが幾度となく繰り返されました。

ごく稀に継母にやさしくされることがあっても、わたしは継母が恐いという思いがぬぐい切れず、甘えたりリラックスしたりすることは全くできませんでした。

仮にやさしくされても、またすぐに怒られ、責められるからです。

そんな中、わたしの本音を映し出すような事件が起きました。

姉が暗くなっても、夜になっても帰って来なかったのです。さすがに父と継母は警察を呼んで、姉を捜索しました。

そして次の日の朝、犬を抱いたまま、橋の下で震えている姉が発見されたのです。
さすがに夜は寒く、野良犬を抱いて寒さをしのいでいたようでした。

姉は無事だったものの、わたしには姉の気持ちが痛いほどわかりました。

「わたしも本当はこの家を出ていきたい」
「何も悪いことをしていないのに怒られるのはもうイヤ」
「邪魔な存在としてわたしたちを扱う人たちと一緒に暮らしたくない」

わたしには姉のように家出という発想や幼な過ぎてその行動力がなかっただけで、
本当はわたしもそうしたいという、自分が感じている思いに気づきました

そんな環境で暮らす中で、わたしは自分のことをここにいてはいけない邪魔な存在という自己否定の気持ちを少しづつ育んでいったのかもしれません。

そして一年ほど経った頃、ようやく母がわたしたちを迎えに来てくれました。

母の家に戻ってきた日、母は姉とわたしに絵本を1冊ずつプレゼントしてくれました。
それは今でも忘れらない「浮かれバイオリン」というタイトルで、とてもわたしの心を陽気にさせてくれる絵本でした。辛い日々のあとに、わたしが初めて受け取った母からのやさしさで、とても嬉しかったことを覚えています。

けれども、ようやく母に甘えられる暮らしができると喜びを感じたのも束の間でした。
父と離婚し、経済的に自立するために自営業を始めた母は、慣れない起業、子育て、後にわかった離婚した父との親権争い等によって、精神的に追い詰められたいたのかもしれません。

同居して何かと助けてくれていた祖母との折り合いも悪く、母と祖母はよく喧嘩をしていました。

そして祖母は、ある日、突然家からいなくなったのです。

わたしによく怒っていた母の代わりに唯一甘えられる存在であった祖母がいなくなり淋しかったのですが、「おばあちゃんは?」と母に尋ねても、祖母は田舎の自分の家に戻ったとしか伝えられませんでした。

そして後にわたしが中学生くらいになった頃、祖母は母と価値観が合わず、祖母の意見に耳を貸さない母を見限った形で家を出たと聞かされ、ショックを受けました。

祖母がわたしたちに何も言わずにいなくなったことも悲しかったのですが、どこへ行ったか母もわからず、もう会えないかもしれないということがとてもショックでした。

その後、母の心はますます荒んでいき、わたしが片づけをしない、部屋を汚す、宿題をしないなどで、とても厳しく怒られることが度々ありました。時には手をあげられたり、箒を持って追っかけられたりしたこともありました。

母はいつもイライラしているように見え、いつ怒りを向けられるかわからない、わたしにとっては母はそんな恐い存在になっていました。

そしてそんなことがあるたびに

「わたしは愛されていない」
誰もわたしを気にかけてくれる人はいない」

わたしには価値がない」
「わたしはいてもいなくても同じいない方がいい

という思いが、わたしの潜在意識に知らず知らずのうちに蓄積されていき、自分の中で疑う余地もないものになっていったのだと思います。

たとえ母にやさしくされても、そのような思いが根底にあるため、心を開いて母に甘えることもできませんでした。

わたしは実母との暮らしの中でも、どこにも居場所がない思いを抱えていました。

保育園に行っても楽しく遊んでいる他の子どもたちの輪に入って行くことができない子どもでした。受け入れらなかったらどうしようと、無意識に傷つくことを怖れていたのだと思います。

そんな自己肯定感が低く、自分には価値がないと思い込んでいたわたしは、小学校に上がっても当然のようにいじめの対象となりました。

ある日の朝、わたしが登校し教室で自席に座っていると、クラスの男の子が数人、次々とやってきて、わたしの机に唾や痰を吐いて逃げていきました。わたしの机の上はその子たちの唾や痰でどろどろになりました。

わたしは担任の先生が早く教室に入ってきて、この状況を見つけ、悪さをした生徒を叱ってくれることを願いました。けれども教室に来てそれを見た当時の担任の先生は、「これは誰がやったの?」と聞く代わりに、「何してるの。早くきれいに拭きなさい。」とわたしに叱るように言っただけでした。

「どうして?悪いのはわたしじゃないのに。なぜわたしの机を汚した人のことを聞いてくれないの?どうしてわたしが叱られるの?」

心の中でそう思いましたが、わたしは何も言えませんでした。

そしてわたしの気持ちを汲んでくれない先生に絶望し、机を拭くために雑巾を取りに教室を出てひとりで泣きました。

「やっぱりわたしの気持ちを気にかけてくれる人は誰もいない」と、そこでもそんな思いが強化された出来事でした。


心の中にネガティブな思いをたくさん
抱えたまま、わたしは怖くて自分の本音に目を向けることも伝えることもできずに、辛くて苦しい幼少期、思春期を送りました。

やがてそれは、自分がどれほど傷ついているかわかってくれない周囲の人たちへの怒りの気持ちへと発展し、心は「わたしがどれだけ可哀そうか、不幸で苦しいかを気づいてほしい」という気持ち、そしてそんな苦しさに気づいてくれない周囲の人たちへの恨みのような気持ちでいっぱいでした。

でもわたしの気持ちをわかってくれようとしない周囲に対して、もはや心を開けなくなっていたわたしは、自分の気持ちを言葉で伝えることは決してせず心の叫びに蓋をしつづけました。

それは時にその苦しさにたまりかねて親や兄弟に爆発させるということを繰り返していました。

外では大人しく「手がかからない子ども」と言われていましたが、家では家族の言葉や行動に敏感に反応してヒステリックになる、そんな典型的な内弁慶の子どもになっていました。

高校を卒業して、わたしは特に躊躇することもなく、地元からひとりで東京の専門学校に行くことを決めました。

辛い思いをたくさんした地元や実家を離れて、新しい人生を送りたいという気持ちが強かったのだと思います。

そして、普通に就職し、紆余曲折はありながらも社会人をこなし、楽しいこともたくさん経験しました。友人も恋人もでき、いままでわたしのことを大切にせず認めてくれなかった周囲の人たちの世界とは別の、本当に楽しい人間関係を経験しました。

でも、20代も後半に差し掛かったころ大きな失恋をし、それをきっかけに再び胸の奥に閉じ込めていた無価値観や、わたしのことを本当に気にかけてくれる人は誰もいないという思いがムクムクと顔を出し、心を支配してきました。それで一時は自暴自棄にもなりました。

人は何のために、
どうして生きているの?

幼い頃から封印していた思いが、再びこみ上げてくるようになりました。

もう守るものも何もない、すべてを失った感覚でした。

そんな中、たまたま職場の同僚が読んでいた一冊の自己啓発本に目がとまりました。
本を借りてページをめくると、そこにはわたしが知らなかった心のメカニズムが詳細に書かれていました。

社会人になってからも根本に自己肯定感の低さを抱えていたわたしは、ときどき本屋にふらっと入っては、人生に対するわたしの疑問に答えてくれそうな本を探して読んでいましたが、この失恋を機に、心について、人生について、宇宙の法則についてのわたしの真理への探求が本格的に始まりました。

心、そのメカニズムについての学び、自己啓発や宗教哲学、スピリチャルやエネルギーワーク、自分の愛し方や心理学、また宇宙の法則など興味が尽きず、数十年かけてそれらを学びました。

いろいろな学び、セッションやたくさんのワークを経験し、かなりの部分で癒され、もう自由に生きられる、わたしを過去に縛るものは何もない、やりたいことが自由にできる人生に踏み出せるという感覚にもなり、ほとんどの時間を幸せを感じて凪のように心穏やかに過ごせるようになりました。

ですが、頻度は少なくなったものの、まだ心に何か癒しきれていないものが残っているような感覚を時に感じていました。

そしてそのことをまるでわたしに気づかせるように、ネガティブな思いが強まるような出来事が日常でもまた、時々起こりました。

数々の学びの中で大部分が癒されてしあわせを感じていたのに、まだ根強く何かが残っている、そんな感覚でした。そして、

わたしは本当は何がしたいんだろう?

再びそういう思いが募りはじめ、今でも十分しあわせだけども、もっと何かできるはず、もっと充実した人生を生きられるはずと強く思うようになりました。

でもそのための行動はなかなか踏み出せませんでした。

何がわたしを止めているんだろう?

そんなことを漠然と思い、学び続ける日々の中、
インナーチャイルドについて書かれている一冊の本と出会いました。

インナーチャイルドについて学び、セラピーを受ける過程で、わたしは無意識に嫌って遠ざけていた、わたしの中の小さな存在に徐々に気づいていきました。

その小さな存在が、わたしが心の奥底で本当に感じていることや、持っている信念や思い込みを教えてくれ、わたしに差し出してくれるようでした。

傷ついた心を無視して閉じ込めたままにしていたために、こんなネガティブな思いがあるよと日常のさまざまな出来事をきっかけにその思いが顔を出し、教えてくれているかのようでした。

過去に生まれたネガティブな思いに支配されると、他人の目が気になったり、自分が攻撃されているように思ったり、人間不信や自己嫌悪に陥りやすくなり自信も失っていくため、やりたいと思うことも行動できなくなったりします。

そしてセラピーを受けるほどに、わたしは自分の中にあったネガティブな思いを受け容れることができるようになり、愛おしささえ感じ、自分の中に統合することができるようになりました。

そうしてわたしはより軽やかに、自由になっていきました。

インナーチャイルドに関する知識やセラピーの体験は、『わたしが自分のことを受け容れる』ということを大いに助けてくれたのです。

インナーチャイルドの癒しは、同時に、今までのネガティブな振る舞いをしていた自分が”傷”に反応していただけであり、本来の自分はもっと別の、まだ気づかれていない本当の性質があること、才能や能力を持っていることに気づかせてくれました。

そして雲がかかったように”思い込み”で見ていた心のフィルターに気づいて手放すと、今までは見えなかった世界が突然、開けて見えるようになりました。

わたしの場合はわたしを嫌っているとずっと信じ込んでいた母に当は愛されている」ことに気づく、という体験をしました。その途端、世界が「愛がない」から「愛がある」に移行したのです。

そして人生はずっとやさしく、楽に生きられるようになりました。

心の中での母との関係の修復は、現実面での親子関係はもちろん、自分自身との関係、パートナーとの関係、他の人との人間関係において、そして仕事やお金、身体においてもとても良い変化をもたらしました。

インナーチャイルドの癒しを体験し、無視されほったらかしにされている怒りや心の傷と向き合い、そのエネルギーを解放することで癒しとゆるしは起こり、幸せで充実した人生を生きることが可能だと直感しインナーチャイルド・セラピストとして活動することを決めました。

癒されない心を持ったまま生きづらさを抱えている、いつも人の目が気になり自由に生きられない、人から攻撃されているような気持ちになる、自分のことが嫌い、人間関係がうまくいかない、パートナーと気持ちが通じ合えずにつらい、自己否定、共依存、愛着障害、アダルトチルドレンなどの悩みを抱えているその一方で、人生を変えたいと心の奥で切に願う方がより自分らしく幸せに生きられるようにお力になりたいと思っています

ひとり一人が本来の性質や能力を発揮し自分らしく人生を輝かせることができる、そんな世界を目指しています。

インナーチャイルドセラピーに加え、今まで学んできたスピリチャル、心理学、脳科学の側面から最大限にあなたをサポートします。

ネガティブな思いに翻弄される人生からそんな新しい自由な人生へと、扉を開けてみませんか?